先日のタイトルで言いたかった事です。
6年以上の長い時間をかけて、戸田奈津子程度のいい加減な翻訳家ばかり量産してどうするの?と。*1
そして脱落者はただ翻訳家に向いていなかっただけであるにもかかわらず、英語が出来ないという印象を与え切り捨てていく現在の教育システムはどうなんでしょうか?
英語力が国力を左右するという認識の元に小学校からの英語教育の是非について議論がなされているならば、「翻訳家に向いていなかっただけの人」を救い出す事、すなわち国力を高める施策を在野の英語学校だけに任せていいんでしょうか?