あおしまの日記

あおしまさんの日記らしいです。個人的に興味がある事を時々書きます。スマートウォッチPebble日本語パックを作成、公開しています。

もう少し補います

なんだか公開書簡みたいになっていて恥ずかしいんですが、もう少し補います。

まず最初に、普通の文部省の学習指導要領その他に準拠して英語を習われたりした方は、冠詞という品詞があるということを習われています。私も習ったと思います。しかし私はあるときに、高校まで習ってきた英語の、特に文法について全部忘れる事になりまして、ほとんど覚えていません。そこに、全く異なるアプローチで英語を習いまして、それを元に趣味として英語学をつついて今に至ります。(英文学科にいたとかその様な専門の教育を受けたことはありません。)その学習の中で、「冠詞という概念はより広範囲な概念に移行しつつある」という理解を元に、考え方を1から作り直してきました。そういう私から見て、冠詞なんてもう無くなりそうな概念を、この鎖国のような日本で後生大事に守っていくのは無駄な事ではないかと私は思います。ですから、「まだ冠詞とかいう人がいる(=もうそんな物忘れてしまえば楽になれるのに)」というのがタイトルにあります。

この時点で、ほぼ皆様とお話が全くかみ合わないのは承知しています。さらにオブジェクト指向プログラムというのがさっぱりわからない*1ので、インスタンスというものが実感としてよくわからないので、もはや考えなくていい概念を、わざわざ無理して理屈付けする努力をするのは大変だと思っています。

また今回の件で、インスタンスというのは存在や実体の定義というような物ではなかろうかというイメージを持ちました。

そこで思うのですが、なにか定義を一度作ると、共通認識が生まれると思います。共通認識があるものは、日本語でも英語でも、もしかしたらその他の言語でもそうかもしれませんが、できるだけ省エネと言いますかサボりといいますか、楽をしようとします。省こうとします。ですから、いちど共通認識がうまれた後は、「それ」や「あれ」という傾向と、「その(存在)」「あの(存在)」と(存在)について繰り返す傾向とでは、前者のほうが多いのではないかと思いました。繰り返して言うのは野暮になるのではないでしょうか。

ですから、あの説明のように、定義を作るのはa bookで、作った後にはthe bookというのは、そうかもしれないけれどもそうではない場合も多いのではないかと思います。また傾向としてはthatやit、themなど、そういう一言で代用しようとするほうが強いのではないかと思います。その場合、指し示すべき定義の名札(book)がないポインターになると思いますが、これはtheを使うべき場として例示するのには無理があるのではないかと思います。

日本語でも、共通認識が多くなった関係(夫婦など)は、アレとかソレだけでも会話が通じると思います。長年定義づけを繰り返してきたため、定義づけ自体が省略され、過去の定義を指示して再利用を繰り返している状況と言えるのかもしれません。(ところでこの状況を、「長年インスタンスの生成を繰り返してきたため、インスタンス生成自体が暗黙の共通認識として省略され、ラベルのないポインタだけでも動作するプログラムになっている」と表現するのは正しいでしょうか?)

*1:そうでないプログラムはチマチマ作りますけど。