あおしまの日記

あおしまさんの日記らしいです。個人的に興味がある事を時々書きます。スマートウォッチPebble日本語パックを作成、公開しています。

冠詞(笑)

プログラマにおくる英語の冠詞の使い分けの法則 Wiki
http://code.nanigac.com/source/wiki/view/398

余計な概念を教え込んだまま放置プレイにするから、さらに難解な概念で屋上屋を重ねるような独創的な(笑)理屈をこね始めるわけで。ある意味彼は被害者なんだが、この無駄な努力が涙を誘います。なんともやるせない。

aもtheもsomeもその他大勢も、後に続く名詞の性、数、格を決定する品詞として包括的に扱われる概念が70年代後半に提唱され、80年代に整理され議論され、90年代からはそれが主流になりつつあるのに、それに取り残されてまだこんな独自理論を編み出して自身を納得させなければならない国民が居るのは、ひとえにこの国の英語学者の怠慢が理由ではないかと私は思うのだが、如何だろうか?

プログラマサイドと英語学サイド

http://d.hatena.ne.jp/toft/20071206

上の話はこの2つの接点にある話だと思います。
プログラマサイドからしか見ていなければ、難解ではなく納得のいく理屈だそうです。
私は英語学サイドからしか見ていません。
同じものを違う視点で見ている限り、おそらくわかり合えないと思います。

プログラム言語と自然言語とに共通した背景があって、概念が相互に融通できる事が示されているならば、プログラマサイドからの視点というのも根拠ある話だと思います。私にはインスタンスという概念がよくわかりませんので、異種格闘技のような何か違う世界の概念で無理矢理折り合いをつけている様に見えました。

英語とプログラム言語において、概念の相互乗り入れが利くという前提は存在しうるのでしょうか?

もう少し補います

なんだか公開書簡みたいになっていて恥ずかしいんですが、もう少し補います。

まず最初に、普通の文部省の学習指導要領その他に準拠して英語を習われたりした方は、冠詞という品詞があるということを習われています。私も習ったと思います。しかし私はあるときに、高校まで習ってきた英語の、特に文法について全部忘れる事になりまして、ほとんど覚えていません。そこに、全く異なるアプローチで英語を習いまして、それを元に趣味として英語学をつついて今に至ります。(英文学科にいたとかその様な専門の教育を受けたことはありません。)その学習の中で、「冠詞という概念はより広範囲な概念に移行しつつある」という理解を元に、考え方を1から作り直してきました。そういう私から見て、冠詞なんてもう無くなりそうな概念を、この鎖国のような日本で後生大事に守っていくのは無駄な事ではないかと私は思います。ですから、「まだ冠詞とかいう人がいる(=もうそんな物忘れてしまえば楽になれるのに)」というのがタイトルにあります。

この時点で、ほぼ皆様とお話が全くかみ合わないのは承知しています。さらにオブジェクト指向プログラムというのがさっぱりわからない*1ので、インスタンスというものが実感としてよくわからないので、もはや考えなくていい概念を、わざわざ無理して理屈付けする努力をするのは大変だと思っています。

また今回の件で、インスタンスというのは存在や実体の定義というような物ではなかろうかというイメージを持ちました。

そこで思うのですが、なにか定義を一度作ると、共通認識が生まれると思います。共通認識があるものは、日本語でも英語でも、もしかしたらその他の言語でもそうかもしれませんが、できるだけ省エネと言いますかサボりといいますか、楽をしようとします。省こうとします。ですから、いちど共通認識がうまれた後は、「それ」や「あれ」という傾向と、「その(存在)」「あの(存在)」と(存在)について繰り返す傾向とでは、前者のほうが多いのではないかと思いました。繰り返して言うのは野暮になるのではないでしょうか。

ですから、あの説明のように、定義を作るのはa bookで、作った後にはthe bookというのは、そうかもしれないけれどもそうではない場合も多いのではないかと思います。また傾向としてはthatやit、themなど、そういう一言で代用しようとするほうが強いのではないかと思います。その場合、指し示すべき定義の名札(book)がないポインターになると思いますが、これはtheを使うべき場として例示するのには無理があるのではないかと思います。

日本語でも、共通認識が多くなった関係(夫婦など)は、アレとかソレだけでも会話が通じると思います。長年定義づけを繰り返してきたため、定義づけ自体が省略され、過去の定義を指示して再利用を繰り返している状況と言えるのかもしれません。(ところでこの状況を、「長年インスタンスの生成を繰り返してきたため、インスタンス生成自体が暗黙の共通認識として省略され、ラベルのないポインタだけでも動作するプログラムになっている」と表現するのは正しいでしょうか?)

*1:そうでないプログラムはチマチマ作りますけど。

おまけ

thという部分はもともと一文字であり、「存在」を示す部分です。theもthatもthereもすべてここから派生していますので、みな兄弟です。(Oxfordの古い辞書より。)ですから、「That is the〜」や「There is the〜」などという文を見ないのは、「頭痛が痛い」のようなおかしな文になりますので、避けようという力が生まれるからではないかと私は考えています。

aとtheをどう使っているか

aとtheだけではないんですが、私がどう考えているかも書いておいたほうがいいかもと思いましたので書きます。何となくなのでうまく説明をするのが大変ですので、あとで確認して直すかもしれません。大まかには、

  • aには"one"と"some"の、おおまかに2つの使い方があるので、まずその用途に使います。
  • aやsomeや他いくつかは、上に書いた「〜存在は存在である」にならないよう回避するときにも使ってます。
  • 上の以外(aでもsomeも当てはまらない条件)で、特に名詞の後ろに修飾ユニットが付く場合には、たぶんtheを使っています。何となく。でも、theでないものを代わりに使うこともあります。ひとつだけではない場合もあります。
  • 共通認識において特に強調して指示する必要がないものは、無理に「これだよこれ、これなんだYO!」なんて言う必要がないので、多分theは使ってないと思います。それは人類の共通認識から会話中の2人だけの共通認識まで、いろいろです。場合によります。

さいごに

元記事からリンクされているせいか、たくさん人が来てます。なんだか申し訳ないのと、きちんと書いておかなければならなくなったのでもうひとつ書きます。

「英語学のサイドから」と紹介されていますが、上に書いた様に私は超アウトサイダーなので、これが一般的な英語学の方の考え方だと思われると私も困りますし、そういう本職の方々にもご迷惑がかかると思いますから出来ればやめていただけると有り難いです。

「素人さんが何かわめいているけど出鱈目だよね」というのが、本職の方の普通の評価だと思いますし、私もそれはそれである意味まともな評価だと思っています。全く別の考え方なので、これは当然の事です。そういう立ち位置でちまちま今の状況を続けて行きたいと思っています。

ただ冒頭に書いた様に、面倒くさいから昔のアプローチの延長でいいよね、もう冠詞でいいじゃん死ぬもんじゃなし、という風潮はどうかと思っています。もしそれが少しでも変わって、違う考え方や概念があるという事を知る人が増えたら、この日記を書いた甲斐があります。