というのがあるのではないかと思いついた。
いちばん有用な情報を出したせいで自分に不都合な事が起きれば、情報を出し惜しみするようになる。すると、出しても特に問題ないかと思う様な無難な情報までグレードダウンしたところではじめてネット上に晒していい事になる。すると、ネット上には大して有用でもない情報が蓄積され、その中で毛一本飛び出たような物が素晴らしいと大騒ぎされるのではなかろうか。
もう来年あたり、ネット上を飛び交う口コミ情報、有用情報なんてどこにも無かったりするかもしれません。
するってーと、脳味噌固まる前からネットどっぷりの世代、ちょうど今年大卒ぐらいから下の人の人達は、生きて行くのが辛くなるかもしれない。
ネット上だけでは得られない情報をいかに探し出し、いかにそれに対し自分の責任で評価を下さなければならないか、そしてその情報を得た時の喜びと、不都合を自分がかぶる事への抵抗と愚かな自分への憤り。これらの感情は最終的にどう社会に影響を与えるのか、興味があります。