それは「無料のWindows」じゃないからさ
「Linuxデスクトップが普及しない理由」だなんて、斎藤先生が耳にタコができるぐらい五月蝿く言ってた話題ですが、こっそり離れた所からとぼけた事を書いてみようと思う。そんなわけで、小田嶋さん風な書き方してみる。
- 2008年になってもまだこんな論調を見るとは思わなんだ、というのがひとつ。
- 結局この界隈、10年ぐらい同じ話をしてないか?
- 失われた10年。
- コンピューターを使いたい一般人は、「無料のWindows」を欲しているのだ。*1
- 他方、オシャレな生活の小道具としてコンピューターを使えている気になりたい人はMacを欲する。*2
- では問う。Linuxデスクトップのどこに居場所があるというのだ?
- 結局いじる事が目的の人、手段と目的が入れ替わった人だけではないか。
- それは、「少数民族はなぜ大民族にならなかったのか?」を問うに等しい愚問。
- そういえば「素敵な人、Linuxを使う。」とばかりに、サクラの女性を買いに走らせた所もあったなあ。
- その後、そのサクラが秘書になってて驚いた訳だが。
- サクラが先か、秘書就任が先か、どちらが先だったのか、今となっては薮の中。
- それはさておき、「無料のWindows」を求める人民は、プレインストールモデルこそが最適解である。
- それは、表向き「無料のWindows」を具現化しているからだ。
- では、どこに不満があるのか?
- Windowsが真に無料でない事が、不満なのだ。
- では、Linuxのどこに不満があるのか?
- 「無料の」ではあるが「Windowsではない」所に、不満があるのだ。
- では、LinuxがWindowsではない事を容認できる、ごく限られた層の人間にとって、なぜLinuxが容認できないのか?
- 自らの無知と、否応無く対面させられるから。
- 責任転嫁の先が、自分自身に向かうから。
- 下はBIOSからブート、それからカーネル、上はグラフィックスライブラリの挙動まで。
- 全てを知り、全てを統べる者のみが、些細なバグを鼻で笑ってひねり潰し、何事もなかったかの様に日常生活を遂行できる。
- それに耐えられるマッチョな者のみが、薮を掻き分け使う。
- 「Firefox3で日本語が出ない?そんなの大した問題じゃないでしょ。とりあえずこのへんで回避しとくか。」という、日常。
- 動かないデバイスがあったら、主婦が鼻歌まじりにカーネルドライバをかく、日常。*3
- 「あら、旦那は今日もおそいのね。じゃ、今日はあのドライバ書いちゃお☆」
- それなんてコンピューター技術者天国?
- 経産省も真っ青(未来予測が外れた的な意味で)
- んなこたない。
- だれもが、自分はカワイイもの。
- 自分が出来ない事を、他人の所為にしたいもの。
- 「全てはゲイツが悪いのだ。」
- 人形(ヒトガタ)としてのゲイツ。
- そのゲイツが、引退してしまった。
- 皆が思う「無料のWindows」ではない、余計なオマケOSとしてのVista。
- 地殻変動の予感。
- こんな話題が再燃するのも、地殻変動による不安からではなかろうか。
- (略)*4